HP開設挨拶

 俳人・兼﨑地橙孫(理蔵)は、平成十九年に没後五十年を迎えました。この折私たちは、その業績を広く後世に伝えるため、兼﨑地橙孫顕彰会を立ちあげました。
 戦前まで下関で活躍していた地橙孫は、これまで下関市の出身者の中に入れられていましたが、戦後は原籍地徳山に帰り、俳人生活をまっとうしていますので、歴とした「徳山人」です。
 因に、兼﨑家は代々徳山藩に仕えた家柄で、六代の祖父茂昌(号・橙堂)は江戸で高島秋帆の西洋流砲術を学んで徳山藩で教えており、徳山藩史を『橙堂詩文遺稿』として書き残しています。七代の父茂樹(号・地外)は、それを補足して『橙堂遺稿補遺』として刊行。八代理蔵の「地橙孫」という俳号は、父と祖父の
号から一字ずつ「地」と「橙」をとり、それに「孫」をつけたものです。
 地橙孫は、明治二十三年三月、教師の父の赴任先、山口市に生まれました。
 中学時代から句作を始め、明治四十三年全国巡遊の途にあった河東碧梧桐と下関で出会い、以来師と仰いでいます。中学卒業後上京し、東京根岸の碧梧桐宅で催された海紅堂句会に参加し、新傾向俳人として注目を集めることになりました。
 熊本五高時代には、市内熊毛三丘の河村蟻介の『樹』を介して交遊のあった種田山頭火を熊本へ迎えています。京都帝国大学卒業後、弁護士業の傍ら、久保白船、亘理寒太等々山口県内の俳人とも親交をもち、「清明句」を求めて活動しました。
 特に徳山では、「ささなき句会」や「漁火句会」等へ気さくに参加しています。また、地橙孫は書もよくし、上京時、中村不折に学んだ六朝体書道で多くの作品を残しています。山口市金古曽のサビエル公園碑や防府市護国寺の山頭火の墓標も地橙孫の揮毫によるものです。
 この度、多くの方々に地橙孫を幅広く知っていただくため、ホームページを開設いたしました。これにより、地橙孫の気品あふれる清明句と書や著書・写真等を嗣子兼﨑香澄氏ご協力のもとに紹介してゆきたいと思います。
 また顕彰会では、現在市内に俳人・兼﨑地橙孫の句碑建立を計画しています。本ホームページをご覧になり、俳人・地橙孫にご理解を深めていただくとともに、今後より一層のご協力ご支援を衷心よりお願い申し上げます。

平成二十三年九月

初代会長 田村悌夫 プロフィール

田村悌夫会長の写真 昭和12年(1937)、下松に生まれる。中央大学法部卒業、元銀行支店長、社会福祉法人理事。
 現在、「ふるさとの偉人」をテーマに、後世に伝えようと活動している郷土史研究家で、多くの講演・執筆を行っている。
兼﨑地橙孫顕彰会会長、下松市地方史研究会副会長、徳山地方郷土史研究会理事、山頭火ふるさと会理事。2008年1月、山口文学回廊構想推進協議会「みつけた! 文学の中の山口パートⅡ」で優良賞受賞。2010年11月に、平成22年下松市芸術文化功労賞を受賞。
 著書『種田山頭火の妻・咲野』『勤王の歌人中山三屋女』など。
 地橙孫百句抄『花芙蓉』編著。

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