二代目会長としての御挨拶 「兼﨑 人士」

2013-08-01

兼﨑 人士平成二十五年四月二〇日、周南市市民館小ホールで開催されました本年度定期総会で、田村悌夫会長の後任として二代目会長に任命されました兼﨑です。新役員を代表して、一言ご挨拶申し上げます。
この度の田村会長退任については、上御弓丁地橙孫句碑の完成・地橙孫自伝抄の発刊に加えて顕彰会若手役員が成長している状況に鑑み、役員若返り・会長引継ぎによる会の更なる発展を期しての判断と伺っております。
日頃から人材(後継者)育成と会の永続的発展に注力されておられました。今回の役員改選年度にあたり、豊かな経験と高い識見に基づき、熟慮を重ねられた故の勇断であると拝察できます。
初代会長の田村先生は、顕彰会発足以来、足かけ六年にわたり、ゼロからの出発であったこの顕彰会をここまで率いて下さいました。また私個人としても多くの指導を受けたことを、心より感謝しております。
また、御存じのように山口県を代表する郷土史家のお一人として著名であり、さらには俳人そして近代俳句研究家としても多才な活躍をされておられます。現在は、下松市地方史研究会の会長として、リーダーシップを発揮されています。
そして山頭火研究の第一人者として著書『種田山頭火の妻・咲野』をはじめ、多くのふるさとの偉人をテーマにした研究・著述・講演は高く評価されています。
今後は、地橙孫研究の深化や郷土の歴史・偉人の発掘研究などで、益々活躍されますよう一同願っております。

さて私は昭和二十一年(一九四六)に徳山に生まれ、終戦直後の食糧難・混乱期のなか、幼少期を過ごしました。私が生まれたその同じ年に、下関で罹災した地橙孫は、ふるさと徳山に帰住します。同じ兼﨑一族ですが、残念ながら生前の地橙孫に出会う機会はありませんでした。
ただ、地橙孫の弟・興之(徳山・西浜崎で新聞販売店を経営)さんには、私が小学四年のとき一度出会って少し話をした事があります。『ほう、君の家とは遠~い親戚だな!』と言われた事を覚えています。

爾来四十年が経った頃、私が出会ったその方が地橙孫の弟さんであるということを、徳山地方郷土史研究会の元会長・神本正律氏より教えて頂きました。併せて、周南ふるさと歴史講座実行委員会会長の福谷清次さん(当会会員)からの教示もあり、文武に優れていた徳山藩士・橙堂(地橙孫の祖父)の存在を知る事になったのです。
近代俳句研究や山頭火研究およびふるさと徳山の歴史研究の延長線上に、必然的に“俳人・地橙孫”顕彰活動が起こったと言えるでしょう。

今から六年前、地橙孫顕彰会の創立とほぼ同時期に、兼﨑橙堂らを含む地橙孫の研究も大きく進展しました。地橙孫家族の香澄さん(二男)や吉田紗美子さん(長女)からの助言や史料提供等々物心両面にわたる御協力がその背景にあった事は言うまでもありません。

田村先生の後任として二代目会長に就任し、その責任の重さを肌で感じております。 六年間の活動として、地橙孫作品『地橙孫百句抄“花芙蓉”』『地橙孫自伝抄』の発刊、命日9月3日の「芙蓉忌」・「偲ぶ会」の開催、そして年2回 機関紙「地橙孫新聞」の発刊、資料展の開催、などを行い、軌道にのってきております。
これら実績をベースに、今後は「第二の地橙孫句碑建立」の早期完成に向けて、そしてさらなる成長と広く会員及び市民の皆様に愛され続ける団体・組織となるよう、浅学非才の身ではありますが、頑張りたいと決意を新たにしております。もし私の取り柄を挙げるとすれば、真面目に一所懸命に取り組むということだけです。
当会は任意の団体ということもあり皆が主役、皆が知恵を出し合って、地道に着実に顕彰活動を進めてゆきたいと考えています。第二ステップとしての成長する顕彰会を作るため、皆様と一緒に汗をかき努力する所存ですので、どうかよろしくお願い致します。

顕彰会発足当初より顧問として本会を支えて頂いていた、小川宣さんと吉田紗美子さんのお二人が『どんな組織・団体でも、継続することは大変難しいものです。 数年で消滅してしまう例は、少なくありません。いつまでも、末永く顕彰活動を続けていって下さい!』と、強く願っておられたことを思い出します。
お二人の遺訓に応えるべく、新たな一歩が始まりました。

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