1月, 2014年

周南市民芸術文化祭 文学連盟「郷土文芸展」に出展!

2014-01-06

〜 地橙孫と有馬草々子の資料・作品を展示 〜

周南市制10周年と周南文化協会設立10周年を記念した市民芸術文化祭(同協会主催)が、市文化会館を中心に、平成25年11月2日から10日にかけて開催された。

当顕彰会が所属している文学連盟では、11月8日~10日の三日間、展示部門として文化会館三階・展示室で「郷土文芸展」を開いて活動を紹介した。

この文芸展は、周南地域における文学文芸への関心と理解を深め、併せて会員相互の交流を密にすることを目的とする。

地橙孫顕彰会の他に周南漢詩会、草炎俳句会、ゆづき短歌会、徳山地方郷土史研究会、青木健作顕彰の会などの団体が参加している。

文芸展では、このたび有馬家で新たに発見された“地橙孫と有馬草々子”の親交を物語る書簡、色紙・短冊等の貴重な資料を展示した。

有馬家当主・有馬正さんの御協力による初公開作品は、多くの市民の注目を浴びた。 加えて画家そして写真家としても活躍した俳人・有馬草々子の紹介は、大きな関心を集めた。

解説

下関で罹災した地橙孫は、戦後間もない昭和21年に、ふるさと徳山に帰郷した。

句集「通草(あけび)」を上梓したり、句会を自宅・舞車庵で開いたり、また さゝなき会や漁火句会などを始め近隣の句会に気軽に出席し、地元の俳人たちと交流を深め俳句道に精進した。

周南地域を中心に県俳句会の重鎮として、そして指導者として地橙孫は晩年を過ごしている。

多くの俳句仲間と親交をもったが、その中のひとりに、三丘村長から初代熊毛町長を務めた “有馬草々子 ”がいた。

七歳年下の草々子とは、新傾向や自由律そして定型と歩んだ、その俳歴の共通性から特に懇意にしていたようである。

この度、有馬家当主・有馬正氏により、地橙孫から草々子へ贈られた色紙・短冊やハガキなどの存在が、明らかになった。

地橙孫研究および地元の俳諧史研究において、貴重なものと言える。

有馬草々子のプロフィール

本名:有馬 貢(号・草々子(そうそうし)、光城(こうじょう))

写真・有馬草々子

写真・有馬草々子

明治30年、熊毛郡三丘村の穴戸藩の門閥の家に生まれる。美濃派俳訓宗匠の家に育ち、12歳から俳句を詠む。

旧制徳山中学の時代に油絵に強く惹かれ、画家を志して上京、美術学校へ進学する。

岸田劉生に油絵を、北原白秋から詩歌を学ぶ。都合あって中退し帰郷。大正9年(1920)、シベリア出兵。

大正年間は 新傾向、自由律、片仮名俳句と遍歴する。同時に絵画、写真に没頭する。

昭和5年頃から昭和10年にかけて、日本写真サロン、国際サロン、日本光画協会展に入選。『カメラ』、『芸術写真研究』、『フォットタイムス』、『アサヒカメラ』、『日本写真年鑑』などに作品を発表し 活躍した。

戦後 昭和20年から三丘村の村長を務め、その後 初代熊毛町長となる。昭和21年、三丘村長のとき、「三丘三和会」が組織され、農村文化振興の一環として、人形芝居の保存に努める。昭和38年には、『三丘開邑三百六十年誌』を発行した。

また、俳人として周南地域の兼﨑地橙孫、大中青塔子(祥生)や防府の髙橋飄々子など多くの俳句仲間と交流するとともに、後進の指導にあたる。

自宅庭内には、飯田蛇笏(だこつ)の句碑
“かりそめに灯籠おくや草の中 ”がある。

句集には、『野鶴頌』や『草の中』(出版:草炎俳句会)などがある。昭和44年没。

「徳山藩御家中(ごかちゅう)屋敷絵図」の石碑完成

2014-01-06

地橙孫顕彰会が上御弓丁に建立!  10月27日(日)に除幕式を開催

徳山東ライオンズクラブ(有熊会長) が認証50周年記念 事業として助成!

完成した徳山藩御家中屋敷絵図石碑と説明板

完成した徳山藩御家中屋敷絵図石碑と説明板

このたび顕彰会では、昨年建立した地橙孫句碑と同じ通りに、御家中屋敷絵図の石碑を建立いたしました。

今年度の事業計画には挙げておりませんでしたので、その経緯をご説明します。

徳山東ライオンズクラブでは、認証50周年の記念事業として、文化・福祉などに関する団体に助成することになりました。

私たち顕彰会は、同クラブよりその委託を受けました。そこで、将来まで末永く形として残る内容にすることが望ましいと考え、今年は周南市が誕生10周年であることから、周南市の礎となった毛利徳山藩の「御家中屋敷絵図」を石碑として建立することにしました。

日射しや風雨による絵図の劣化を防ぐため、佐賀県の有田窯でステンレスにホーロー加工したものです。基となる絵図は、マツノ書店さんにご協力いただきました。

建立場所は、周南市の温かい御理解により、地橙孫句碑のある、景観素晴らしい上御弓丁の歩道に決まり、絵図には現在地、周南市役所、周南市文化会館(徳山藩館邸)、兼﨑地橙孫家・屋敷跡などの位置を表示しました。

また訪れた人たちに石碑建立の意味を知っていただくために、説明板も設置しました。

徳山藩では明治になって政治家・軍人として活躍した児玉源太郎、英語教育者・浅田栄次とともに、上御弓丁から電気事業の父といわれ日本の近代化に貢献した矢嶋作郎 (旧名・伊藤 湊)、そして西洋砲術指南役・兼﨑橙堂(地橙孫の祖父)を輩出したことなどを記しています。

除幕式は10月27日(日)に開催し、来賓として周南市長代理・松村悟地域振興部長、徳山東ライオンズクラブ有熊仁会長・藤井一宇実行委員長、徳山毛利家十四代当主毛利就慶氏夫人・美友紀様、山口放送㈱・赤尾嘉文会長の皆様にご出席いただきました。

式典では、顕彰会を代表して兼﨑会長が『周南、徳山の歴史の重みを感じ、ふるさとを回顧し、愛する心を育むきっかけになり、この通りが地橙孫通りとして愛されることを願っています。』とあいさつし、続いて周南市長祝辞(松村地域振興部長代読)がありました。出席者で除幕したのち、全員で記念撮影を行いました。

皆さま方の御協力により、元武家屋敷があり文化薫る通りの上御弓丁に完成いたしました。有難うございました。

除幕式の記念写真

除幕式の記念写真

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