顕彰会の活動

兼﨑地橙孫は正岡子規直系の河東碧梧桐門下で、戦前・戦後の山口県の俳句界の指導者として活躍し、また放浪の俳人種田山頭火と親交があった事で有名な周南市出身の俳人である。顕彰会の目的は、清明の俳人兼﨑地橙孫の遺徳を偲びその功績を広く普及させると共に、永く後世に伝えようとするものである。併せて、広く文芸、特に俳句の創作・発展振興を通じ文化の向上に寄与し、人情味豊かな温かいふるさとづくりに貢献する事にある。辞世の句「今日の日を包みて了へぬ花芙蓉」にちなみ毎年9月3日の命日には大迫田の墓碑前で芙蓉忌(供養祭)を行っている。

具体的には、

  1. 地橙孫命日の九月三日に、「芙蓉忌」(供養祭)を開催
  2. 地橙孫生誕日の三月二十七日に顕彰に関する行事の実施
  3. 地橙孫及び関係者の資料の収集および、資料展・講演会の開催
  4. 兼﨑地橙孫全句集及び著作の編纂に取り組む
  5. 県内又は地元で開催の俳句大会に「地橙孫賞」の設定
  6. その他句碑の建立等顕彰に関する諸行事の実施

 以上のような次第で、会員の協力により順調に本会は歩んでいますが、さらに本会の行う顕彰事業を、対外的に広く発表する機関紙として、また対内的には会員相互の情報交換等心あたたまる交流の場として、この度『地橙孫新聞』を創刊することにしました。   現在会員は130名でありますが、今後とも多くの方々に参加していただき、強固な顕彰会にしていきたいと思っております。何卒、皆様の変わらぬ御理解と御協力をお願いする次第であります。

地橙孫は本名が兼﨑理蔵(かねざき・りぞう)。旧徳山藩士の家に生まれ、下関市で弁護士として長く活躍。県弁護士会会長も歴任し、戦後はふるさと徳山に帰住し、1957年(S32)9月3日、67歳で亡くなった。また、高浜虚子とならび正岡子規門下の双璧といわれた河東碧梧桐と出会った十代から俳句を作り、“清明の俳人”として知られた。
 大迫田の墓碑は、「さゝなき会」等の句友の手によって没した翌年建立され、自然石に「杉立ちや春の稲妻あまたたび」の句が刻まれている。顕彰会では、辞世の句「今日の日を包みて了へぬ花芙蓉」にちなみ、毎年命日には大迫田の地橙孫墓碑前で芙蓉忌(供養祭)を行っている。
現在、田村悌夫会長以下130名の会員で活動中。

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