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兼﨑地橙孫 第二句碑建立 除幕式
地橙孫顕彰会を応援して下さっている皆様方へ
3月15日(日)、兼﨑地橙孫第二句碑が皆さま方の御協力によって建立され、無事に除幕式を開催できましたことは、私どもにとりまして、大きな喜びでございます。
地橙孫は俳句を生涯の友とし、正岡子規の追及しようとした俳句を純粋文学まで高めんと精進を重ね、最後は定型の清明句に到達しております。
太平洋戦争が終わった翌年の昭和21年に、長く暮らした下関から、ふるさと徳山へ帰郷しました。そして晩年まで、東川を渡った 舞車の高台(現・清水町)にあった自宅“舞車庵 ”で過ごしています。
句碑に刻まれている〝毬つくや岐陽山河の数へ唄〟は、帰郷3年後の昭和24年に詠んだ句です。ふるさとに伝わる数え唄を歌いながら毬つきに興ずる子どもの姿から、平和な昭和の原風景が地橙孫の清明句として蘇っています。
夏には、そばを流れる東川にホタルが乱舞し、又この辺りは、祖父・兼﨑橙堂(徳山藩西洋砲術師範)が幕末維新期に高島秋帆流の砲術を藩兵へ教えた場所で、角場と言われていました。 舞車橋を渡った近くには、石碑「旧藩新角場跡」と周南市教育委員会による説明板が設置されています。地橙孫顕彰会では3年前(平成24年)に、藩政時代に徳山藩士・兼﨑家がありました上御弓丁にレリーフ入りの句碑(第一句碑)を建立いたしました。そして一昨年には、その西側に周南市誕生10周年記念として、徳山発展の礎となった毛利徳山藩の御家中屋敷絵図石碑を建立しました。
この度の第二句碑建立に際しましては、地元の皆様、県内外の地橙孫を愛する皆様や地橙孫顕彰会会員の皆様から賛助金や様々なお力添え、温かい励ましの声をかけていただき、心より感謝申し上げます。
そして、この上御弓丁から東川の通り全体が文学と歴史を象徴する道となり、周南市を代表する文化発信の地、さらには地橙孫の通りとして皆様方から末永く愛していただきますことを祈念いたしましてお礼の御挨拶といたします。
地橙孫第二句碑概要
句 | 毬つくや岐陽山河の数へ唄 |
揮毫者 | 兼﨑地橙孫(六朝(りくちょう)書) |
仕様 | 碑:自然石 寸法:高さ1.45m、幅2m、奥行30cm 重量:1.5ton |
ステンレス製説明板: 日新製鋼株式会社製・ステンレス鋼(SUS304) 寸法;板厚1.5ミリ×縦・横420ミリ (FG3処理) |
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建立場所 | 周南市上御弓丁 |
建立者 | 兼﨑地橙孫顕彰会 |
建立年月日 | 平成27年3月15日 |
※ 碑:自然石
※ ステンレス説明板:日新製鋼株式会社 制作・寄贈
※ 設計・施工:株式会社 熊石
地橙孫第二句碑 説明碑(日新製鋼殿 制作・寄贈)
毬(まり)つくや 岐陽(きよう)山河(さんが)の 数(かぞ)へ(え)唄(うた)
俳人であり書家であった兼(かね)﨑(ざき)地橙(ぢとう)孫(そん)は、太平洋戦争が終わった翌年の昭和二十一年に長く暮らした下関から、ふるさと徳山へ帰郷しました。そして晩年まで、東川を渡った舞車の高台(現・清水町)にあった自宅“舞(まい)車(ぐるま)庵(あん) ”で過ごしています。
地橙孫は徳山をこよなく愛し、二度にわたる空襲の戦災から復興しつつある昭和二十四年に、ふるさと岐陽山河の俳句を詠みました。ふるさとに伝わる数え唄を歌いながら毬つきに興ずる子どもの姿から、平和な昭和の原風景が地橙孫の清明(せいめい)句(く)として蘇(よみがえ)っています。
このあたりは、祖父・兼﨑橙堂(とうどう)(徳山藩西洋砲術師範)が幕末維新期に高島秋帆(しゅうはん)流の砲術を藩兵へ教えた場所で、角場(かくば)と言われていました。舞車橋を渡った近くには、石碑「旧藩新角場跡」と周南市教育委員会による説明板が設置されています。
兼﨑地橙孫顕彰会
平成二十七年三月吉日
周南市民芸術文化祭 文学連盟「郷土文芸展」に出展!
〜 地橙孫と有馬草々子の資料・作品を展示 〜
周南市制10周年と周南文化協会設立10周年を記念した市民芸術文化祭(同協会主催)が、市文化会館を中心に、平成25年11月2日から10日にかけて開催された。
当顕彰会が所属している文学連盟では、11月8日~10日の三日間、展示部門として文化会館三階・展示室で「郷土文芸展」を開いて活動を紹介した。
この文芸展は、周南地域における文学文芸への関心と理解を深め、併せて会員相互の交流を密にすることを目的とする。
地橙孫顕彰会の他に周南漢詩会、草炎俳句会、ゆづき短歌会、徳山地方郷土史研究会、青木健作顕彰の会などの団体が参加している。
文芸展では、このたび有馬家で新たに発見された“地橙孫と有馬草々子”の親交を物語る書簡、色紙・短冊等の貴重な資料を展示した。
有馬家当主・有馬正さんの御協力による初公開作品は、多くの市民の注目を浴びた。 加えて画家そして写真家としても活躍した俳人・有馬草々子の紹介は、大きな関心を集めた。
解説
下関で罹災した地橙孫は、戦後間もない昭和21年に、ふるさと徳山に帰郷した。
句集「通草(あけび)」を上梓したり、句会を自宅・舞車庵で開いたり、また さゝなき会や漁火句会などを始め近隣の句会に気軽に出席し、地元の俳人たちと交流を深め俳句道に精進した。
周南地域を中心に県俳句会の重鎮として、そして指導者として地橙孫は晩年を過ごしている。
多くの俳句仲間と親交をもったが、その中のひとりに、三丘村長から初代熊毛町長を務めた “有馬草々子 ”がいた。
七歳年下の草々子とは、新傾向や自由律そして定型と歩んだ、その俳歴の共通性から特に懇意にしていたようである。
この度、有馬家当主・有馬正氏により、地橙孫から草々子へ贈られた色紙・短冊やハガキなどの存在が、明らかになった。
地橙孫研究および地元の俳諧史研究において、貴重なものと言える。
有馬草々子のプロフィール
本名:有馬 貢(号・草々子(そうそうし)、光城(こうじょう))
明治30年、熊毛郡三丘村の穴戸藩の門閥の家に生まれる。美濃派俳訓宗匠の家に育ち、12歳から俳句を詠む。
旧制徳山中学の時代に油絵に強く惹かれ、画家を志して上京、美術学校へ進学する。
岸田劉生に油絵を、北原白秋から詩歌を学ぶ。都合あって中退し帰郷。大正9年(1920)、シベリア出兵。
大正年間は 新傾向、自由律、片仮名俳句と遍歴する。同時に絵画、写真に没頭する。
昭和5年頃から昭和10年にかけて、日本写真サロン、国際サロン、日本光画協会展に入選。『カメラ』、『芸術写真研究』、『フォットタイムス』、『アサヒカメラ』、『日本写真年鑑』などに作品を発表し 活躍した。
戦後 昭和20年から三丘村の村長を務め、その後 初代熊毛町長となる。昭和21年、三丘村長のとき、「三丘三和会」が組織され、農村文化振興の一環として、人形芝居の保存に努める。昭和38年には、『三丘開邑三百六十年誌』を発行した。
また、俳人として周南地域の兼﨑地橙孫、大中青塔子(祥生)や防府の髙橋飄々子など多くの俳句仲間と交流するとともに、後進の指導にあたる。
自宅庭内には、飯田蛇笏(だこつ)の句碑
“かりそめに灯籠おくや草の中 ”がある。
句集には、『野鶴頌』や『草の中』(出版:草炎俳句会)などがある。昭和44年没。
「徳山藩御家中(ごかちゅう)屋敷絵図」の石碑完成
地橙孫顕彰会が上御弓丁に建立! 10月27日(日)に除幕式を開催
徳山東ライオンズクラブ(有熊会長) が認証50周年記念 事業として助成!
このたび顕彰会では、昨年建立した地橙孫句碑と同じ通りに、御家中屋敷絵図の石碑を建立いたしました。
今年度の事業計画には挙げておりませんでしたので、その経緯をご説明します。
徳山東ライオンズクラブでは、認証50周年の記念事業として、文化・福祉などに関する団体に助成することになりました。
私たち顕彰会は、同クラブよりその委託を受けました。そこで、将来まで末永く形として残る内容にすることが望ましいと考え、今年は周南市が誕生10周年であることから、周南市の礎となった毛利徳山藩の「御家中屋敷絵図」を石碑として建立することにしました。
日射しや風雨による絵図の劣化を防ぐため、佐賀県の有田窯でステンレスにホーロー加工したものです。基となる絵図は、マツノ書店さんにご協力いただきました。
建立場所は、周南市の温かい御理解により、地橙孫句碑のある、景観素晴らしい上御弓丁の歩道に決まり、絵図には現在地、周南市役所、周南市文化会館(徳山藩館邸)、兼﨑地橙孫家・屋敷跡などの位置を表示しました。
また訪れた人たちに石碑建立の意味を知っていただくために、説明板も設置しました。
徳山藩では明治になって政治家・軍人として活躍した児玉源太郎、英語教育者・浅田栄次とともに、上御弓丁から電気事業の父といわれ日本の近代化に貢献した矢嶋作郎 (旧名・伊藤 湊)、そして西洋砲術指南役・兼﨑橙堂(地橙孫の祖父)を輩出したことなどを記しています。
除幕式は10月27日(日)に開催し、来賓として周南市長代理・松村悟地域振興部長、徳山東ライオンズクラブ有熊仁会長・藤井一宇実行委員長、徳山毛利家十四代当主毛利就慶氏夫人・美友紀様、山口放送㈱・赤尾嘉文会長の皆様にご出席いただきました。
式典では、顕彰会を代表して兼﨑会長が『周南、徳山の歴史の重みを感じ、ふるさとを回顧し、愛する心を育むきっかけになり、この通りが地橙孫通りとして愛されることを願っています。』とあいさつし、続いて周南市長祝辞(松村地域振興部長代読)がありました。出席者で除幕したのち、全員で記念撮影を行いました。
皆さま方の御協力により、元武家屋敷があり文化薫る通りの上御弓丁に完成いたしました。有難うございました。
二代目会長としての御挨拶 「兼﨑 人士」
平成二十五年四月二〇日、周南市市民館小ホールで開催されました本年度定期総会で、田村悌夫会長の後任として二代目会長に任命されました兼﨑です。新役員を代表して、一言ご挨拶申し上げます。
この度の田村会長退任については、上御弓丁地橙孫句碑の完成・地橙孫自伝抄の発刊に加えて顕彰会若手役員が成長している状況に鑑み、役員若返り・会長引継ぎによる会の更なる発展を期しての判断と伺っております。
日頃から人材(後継者)育成と会の永続的発展に注力されておられました。今回の役員改選年度にあたり、豊かな経験と高い識見に基づき、熟慮を重ねられた故の勇断であると拝察できます。
初代会長の田村先生は、顕彰会発足以来、足かけ六年にわたり、ゼロからの出発であったこの顕彰会をここまで率いて下さいました。また私個人としても多くの指導を受けたことを、心より感謝しております。
また、御存じのように山口県を代表する郷土史家のお一人として著名であり、さらには俳人そして近代俳句研究家としても多才な活躍をされておられます。現在は、下松市地方史研究会の会長として、リーダーシップを発揮されています。
そして山頭火研究の第一人者として著書『種田山頭火の妻・咲野』をはじめ、多くのふるさとの偉人をテーマにした研究・著述・講演は高く評価されています。
今後は、地橙孫研究の深化や郷土の歴史・偉人の発掘研究などで、益々活躍されますよう一同願っております。
さて私は昭和二十一年(一九四六)に徳山に生まれ、終戦直後の食糧難・混乱期のなか、幼少期を過ごしました。私が生まれたその同じ年に、下関で罹災した地橙孫は、ふるさと徳山に帰住します。同じ兼﨑一族ですが、残念ながら生前の地橙孫に出会う機会はありませんでした。
ただ、地橙孫の弟・興之(徳山・西浜崎で新聞販売店を経営)さんには、私が小学四年のとき一度出会って少し話をした事があります。『ほう、君の家とは遠~い親戚だな!』と言われた事を覚えています。
爾来四十年が経った頃、私が出会ったその方が地橙孫の弟さんであるということを、徳山地方郷土史研究会の元会長・神本正律氏より教えて頂きました。併せて、周南ふるさと歴史講座実行委員会会長の福谷清次さん(当会会員)からの教示もあり、文武に優れていた徳山藩士・橙堂(地橙孫の祖父)の存在を知る事になったのです。
近代俳句研究や山頭火研究およびふるさと徳山の歴史研究の延長線上に、必然的に“俳人・地橙孫”顕彰活動が起こったと言えるでしょう。
今から六年前、地橙孫顕彰会の創立とほぼ同時期に、兼﨑橙堂らを含む地橙孫の研究も大きく進展しました。地橙孫家族の香澄さん(二男)や吉田紗美子さん(長女)からの助言や史料提供等々物心両面にわたる御協力がその背景にあった事は言うまでもありません。
田村先生の後任として二代目会長に就任し、その責任の重さを肌で感じております。 六年間の活動として、地橙孫作品『地橙孫百句抄“花芙蓉”』『地橙孫自伝抄』の発刊、命日9月3日の「芙蓉忌」・「偲ぶ会」の開催、そして年2回 機関紙「地橙孫新聞」の発刊、資料展の開催、などを行い、軌道にのってきております。
これら実績をベースに、今後は「第二の地橙孫句碑建立」の早期完成に向けて、そしてさらなる成長と広く会員及び市民の皆様に愛され続ける団体・組織となるよう、浅学非才の身ではありますが、頑張りたいと決意を新たにしております。もし私の取り柄を挙げるとすれば、真面目に一所懸命に取り組むということだけです。
当会は任意の団体ということもあり皆が主役、皆が知恵を出し合って、地道に着実に顕彰活動を進めてゆきたいと考えています。第二ステップとしての成長する顕彰会を作るため、皆様と一緒に汗をかき努力する所存ですので、どうかよろしくお願い致します。
顕彰会発足当初より顧問として本会を支えて頂いていた、小川宣さんと吉田紗美子さんのお二人が『どんな組織・団体でも、継続することは大変難しいものです。 数年で消滅してしまう例は、少なくありません。いつまでも、末永く顕彰活動を続けていって下さい!』と、強く願っておられたことを思い出します。
お二人の遺訓に応えるべく、新たな一歩が始まりました。
平成25年度・定期総会及び講演会開催
【役員の任期満了に伴う改選】
田村悌夫会長退任、後任会長に兼﨑事務局長を選出!
新役員体制発足、次ステップへ!
顕彰会創立以来、6年にわたり会の発展に大きな功績を残された田村悌夫会長、
ありがとうございました。お疲れ様でした。
平成十九年九月三日の地橙孫命日(没後五十年)に、当顕彰会は創立されました。以来、田村悌夫会長のもと、着実な顕彰活動を進め、昨年は創立五周年を迎えることが出来ました。
平成二十五年度は、地橙孫顕彰会が創立六年目を迎えるとともに、周南市誕生十周年となる記念すべき年であります。今年度の定期総会を四月二十日に市民館小ホールで開催するにあたり、地橙孫顕彰会創立五周年記念として、取材で感じた『周南の歴史の重み』と題する大橋広宣先生の講演会を開催いたしました。
大橋広宣先生は、月刊誌「まるごと周南」ライターとして、また卓越した知識と経験から、全国各地に招かれて様々なテーマの講演をされておられます。月刊誌「まるごと周南」の平成二十三年九月号では特集として “清明の俳人・兼﨑地橙孫”を掲載していただきました。この事により、地元や周辺市町の多くの方々に地橙孫の存在と偉業を知って頂けたと思います。
このたびの講演は、地橙孫や児玉源太郎の取材を通じて、徳山毛利藩では児玉家、小川家、浅見家、本城家、伊藤家、兼﨑家などで多くの人材を輩出し、萩・本藩の志士たちとの交流もあり、幕末から維新の流れや近代国家を創る原動力のひとつになっている事を様々な事例で示していただきました。大橋先生の話は時どき演題から脱線し、その内容が思わず聴衆の笑いを誘いながらも全体は情熱あふれる語りで、改めて周南の歴史を学ぶひと時でした。
記念講演に続いて平成二十五年度定期総会を開催し、新年度事業として、地橙孫第二句碑建立の具体化が提案されました。第二の句碑建立は、先の句碑建立に際して多くの方々から、計画を上回る寄附金が集まっておりますので、これを資金として建立するものであり、ご寄付された皆様の意向に沿ったものであると思います。
また役員の任期満了及び田村会長ご退任に伴う改選で、兼﨑人士事務局長を会長とする新体制が提示され、他の議案とともに満場一致で承認されました。田村会長におかれましては、今後は名誉顧問として、より高い視点から会を見守り、そして助言等を頂ければと思います。
顕彰会のこれまで五年間の活動では、地橙孫句碑建立という大きな目標を達成しました。次の段階としては、これからも顕彰会の目的である地橙孫の顕彰活動を継続してその巾を広げるとともに、文学・俳句の振興や文化の向上にむけて、周南文化協会など関係諸団体との連携を図りながら、実現の努力をして参りたいと思います。
地橙孫顕彰会「文化振興賞」を受賞!
祝 11月3日に表彰式!
11月3日、ホテル ザ・グラマシー(山口県周南市) に於いて平成24年度文化の日記念式典が行われ、周南文化協会より地橙孫顕彰会・田村悌夫会長へ 平成24年度「文化振興賞」が授与された。
記念式典には来賓として、周南市から市長、議長、副市長、教育長などが出席され、文化協会を構成する邦楽、書道、茶道、華道、美術、文学などの団体からは代表者や歴代受賞者の方々の出席も多数あって、荘厳な中にも華やかな式典が挙行されました。
顕彰会を設立してわずか5年で受賞されましたことは、年二回発刊している「地橙孫新聞」が毎回格調高い内容であること、県立山口図書館と周南市立中央図書館での資料展の開催、また今年3月に建立した句碑は他に誇るべき立派なものであることなど、これまでの顕彰会の活動が、周南市に文化を根付かせ文化を高めることに大きく寄与していると評価された結果であると思います。
栄えあるこの受賞は、会員の連携と活動の賜であり、会員全員で慶びを分かち合いたいと思います。
表彰式に続いて祝賀会が開催されました。祝賀会でのアトラクションは、剣舞や邦楽などが演奏されて和やかな雰囲気の場となりました。
当顕彰会では、祝吟の披露が行われました。会場の大型スクリーンに、事務局の製作による地橙孫に関する様々な映像と清明句が映し出されました。それを背景にして顕彰会会員の森谷京岳さん、柴田優岳さん、中村靖岳さん、横山晴山さん、木本清山さんの五名が、それぞれ地橙孫の俳句を吟じ、会場からは賞賛の盛大な拍手がありました。
当顕彰会の目的である文学・俳句の振興や、文化の向上に寄与などを達成するためには、これからも継続的な活動が必要です。
来年度は周南市誕生10周年、そして文化協会設立10周年となり、当顕彰会も役員改選の節目の年となります。
当顕彰会にとりまして、今年は「句碑の建立」と「文化振興賞」を受賞という二つの大きな出来事がありました。
今年を一つの区切りとして、気持ちを引き締めるとともに、次の段階に進む新たな伸展を図って行きたいと思います。
兼﨑地橙孫 句碑除幕式
地橙孫顕彰会を応援して下さっている皆様方へ
桜の開花だよりが聞かれる今日この頃です。お変わりなく、益々ご健勝のことと存じます。平素より、地橙孫顕彰会にご協力を賜わり厚く御礼申し上げます。
この度、多くの皆様方のご支援と周南市のご厚意により、当顕彰会の念願でありました「清明の俳人・兼﨑地橙孫句碑」が、毛利徳山藩・藩政時代に兼崎家がありました周南市上御弓丁の旧屋敷前(こやま歯科医院のところ)の歩道に完成いたしました。
句碑建立の募金活動も、会員はもとより多くの市民の方から賛助金が寄せられ、目標募金額を達成することが出来ました。心より感謝申し上げます。
先日の3月11には、「清明の俳人・兼﨑地橙孫」句碑の除幕式を開催いたしました。おかげ様で、滞りなく句碑を建立することが出来ました。ありがとうございました。
つきましては、除幕式のようすをお知らせすべく下記の写真をお送りさせて頂きましたので、御笑覧ください。
以上 御礼方々、ご報告まで。
平成24年3月吉日
上御弓丁で除幕式
下記のとおり、ふるさと周南・徳山出身の俳人・句碑の“除幕式”を開催いたします。皆様のお越しをお待ちしております。
記
- 日 時
2012年3月11日(日)10:30~11:30 - 場 所
周南市上御弓丁(かみおゆみちょう) “ こやま歯科医院前の歩道 ” - 対 象
兼﨑地橙孫顕彰会の会員・会友、寄付者、市民のみなさま、および、ふるさとを愛する方々 - 式 次 第
☆清明の俳人・兼﨑地橙孫句碑除幕式☆
① あいさつ:田村悌夫会長、 来賓代表
② 経過報告、 除幕者の紹介
③ 除 幕
④ 感謝状贈呈、 詩吟奉納
⑤ 親族代表謝辞:兼崎香澄(地橙孫・二男)、記念写真 - 注意事項
駐車場(こやま歯科医院、おおしろ小児科医院)の利用は、市役所及びマスコミ関係者のみとなっております。 会員や一般市民の方は公共交通機関を御利用願います。
兼崎地橙孫句碑建立実行委員会
平成23年「芙蓉忌」(地橙孫55回忌) について
本年も、兼﨑地橙孫命日の9月3日に「芙蓉忌」(55回忌)を、下記の要領で実施いたします。昨年に引き続き、今回も地橙孫の二男である兼﨑香澄氏(88歳・京都府宇治市在住)が出席される予定です。
現在、顕彰会では「地橙孫句碑建立実行委員会」を立ち上げ、来年3月の句碑建立に向けて募金活動をスタートさせるとともに、ふるさと周南・徳山の俳人・兼﨑地橙孫を広く市民の方々に向け発信しているところです。
今後とも地橙孫顕彰会に御支援を賜りますようお願い申し上げます。
芙蓉忌・供養祭(地橙孫55回忌)
- 日時:平成23年9月3日(土) 雨天時は金剛寺・納骨堂
- 場所:大迫田墓地公園・金剛寺墓所
- 式次第・・・司会進行
- 主催者代表あいさつ 田村悌夫会長
- 献花、詩吟奉納
- 献句、献酒
- 読経(金剛寺住職) および焼香
- 記念撮影
芙蓉忌・偲ぶ会(於遠石會館)
- 日時:平成23年9月3日(土) 墓所での供養の後、引き続き開催
- 場所: 偲ぶ会 ・・・遠石會館17:30~20:00
- 式次第
- 開会のあいさつ 田村悌夫会長
- 御来賓紹介と御挨拶
- 献杯
- 御礼あいさつ 地橙孫・二男の兼崎香澄
- スピーチ
- 献吟、その他
- 懇親
顕彰会事務局 兼﨑人士
顕彰会副会長 森谷京子
兼崎地橙孫 句碑建立について
このたび、ふるさと周南市(徳山)出身の「清明の俳人兼﨑地橙孫」の句碑を周南市上御弓丁(父祖の屋敷跡前)に建立することになりました。
地橙孫(本名・理蔵(りぞう))は、徳山藩士兼﨑橙堂を祖父にもち父茂樹、母東女(小川官介長女)の長男として、明治二十三年に生まれました。熊本五高を経て京都帝国大学独法科を卒業し、大正十三年、下関にて弁護士を開業、のちに山口県弁護士会長に就任しました。
俳句は中学時代に、正岡子規の高弟で俳句界の巨匠・河東碧梧桐と出会い、以後碧梧桐門下として俳人の地位を確立し、活躍しました。
また、中村不折直伝の六朝体書道の最期の書家として、山頭火の墓標やサビエル公園石塔ほか県内各地に揮毫した石碑を残しております。
戦後 徳山に帰郷し舞車に居住、弁護士として活躍する傍ら、県俳句界の指導者として後進の指導にあたりました。「句集・人、ひとに継ぐ」、「觸目皆花」、「地橙孫句抄」、俳論「清明の道」など多数の著書があり、その句数は一万数千にものぼっています。
地橙孫の人にやさしく真摯な生き方は、多くの人たちの心を惹きつけ、その精神は「清明俳句」として開花しました。そして中学時代に親しんだ俳句を終生の友として俳句道を歩み、立派な業績を残しました。
つきましては、皆様方の温かい御支援を受けまして、末永く地橙孫を語り継いでゆくためのシンボルとしてレリーフ入りの句碑建立を計画し、「兼﨑地橙孫句碑建立実行委員会」を結成、顕彰することになりました。
文化芸術は人びとの心を潤して、豊かな感性や誇りを育てます。地域を越えて芸術文化を愛する皆さまと手を携え、地橙孫顕彰活動を通じ、心豊かなふるさとづくりを目ざしてゆきたいと願っています。
何とぞ、この趣旨に御賛同いただき、皆様方の御協力・御支援を賜りますようお願い申し上げます。
平成二十三年八月吉日
兼﨑地橙孫顕彰会 会長 田村悌夫
地橙孫句碑建立実行委員会 委員長 兼﨑人士
句碑概要
建立者 | 兼崎地橙孫顕彰会 |
---|---|
建立場所 | 周南市 上御弓丁 |
句 | 今日の日を包みて了へぬ花芙蓉 |
揮毫者 | 兼崎地橙孫(六朝書体) |
仕様 | 徳山御影石・肖像レリーフ |
除幕式 | 平成二十四年三月 予定 |
発起人
小川 亮 元 徳山市長
河谷 昭彦 山崎八幡宮 宮司
河村 正浩 「山彦」主宰
黒神 公直 遠石八幡宮 宮司
高村 正彦 衆議院議員(元法相・弁護士)
玉野 知之 周南文化協会 文学連盟会長
原田 茂 ㈱はつもみぢ 取締役会長
久行 保徳 山口県現代俳句協会会長・「草炎」主宰
福山 庸治 金剛寺総代(元 周南市観光協会会長)
山縣 俊郎 ㈱山縣本店 代表取締役
吉村 德昌 周南文化協会 会長
橋本 望
森谷 京子
伊藤 健
小沢 園枝
儀本 憲雄
児玉 倩史
柴田 具子
中村 達雄
藤井 宣章
藤井 康文
山田 太郎
親族代表
兼﨑 香澄 兼﨑地橙孫 二男
募金要項
- 募金団体名称
兼﨑地橙孫句碑建立実行委員会 - 募金の目的
地橙孫句碑の建立 - 募金の目標額及び範囲
- 募金目標額
三〇〇万円 - 募金の範囲
地橙孫顕彰会会員ならびに本事業に賛同される個人及び法人
- 募金目標額
- 募金の種類
- 個人募金
一口・壱千円以上(複数口での募金も期待しております)
会員の方は二口以上の御協力をお願い申し上げます。 - 法人募金
一口・壱万円以上(複数口でご協力を頂ければ幸いです) - 募金期間
平成二十三年七月 ~ 平成二十四年一月末
なお、期間を過ぎても受付け致しますが、出来るだけ期間内にお願い申し上げます。分割払いでも結構です。 - 申込および振込・送金方法
- 郵便局振込の場合
同封の郵便局払込用紙(振替用紙)に必要事項をご記入の上、郵便振替でお払込み下さい。払込手数料は無料で、受取人(句碑建立実行委員会)負担です。
【取扱機関・郵便局】
※ 口座名称:兼﨑地橙孫句碑建立実行委員会
※ 口座番号:01390‐6‐87640 - 銀行振込の場合
【取扱機関・西京銀行 本店営業部】
※ 口座名称:兼﨑地橙孫句碑建立実行委員会
※ 口座番号:(普) 2070250
【取扱機関・山口銀行 徳山支店】
※ 口座名称:地橙孫顕彰会
※ 口座番号:(普) 6592301 - 句碑建立実行委員会委員による集金
TEL・FAX 〇八三三 四一 四五六三(田村)
〃 〇八三三 七二 六四六八(兼﨑)
- 郵便局振込の場合