地橙孫 年譜
明治23年 (1890) |
出生 | 3/27 | 山口市道場門前に父茂樹、母東女の長男として生まれる。本名理蔵。 |
明治29年 (1896) |
6歳 | ー | 山口小学校へ入学。父の転勤(高田商会勤務)のため東京、横浜、門司と転校。 |
明治35年 (1902) |
12歳 | 4月 | 県立豊浦中学校入学。胸部疾患のため、5年1学期で退学。 |
明治40年 (1907) |
17歳 | ー | この頃から俳句に親しむ。青木月斗選『大坂新報』に投句入選。 のち、河東碧梧桐選の『日本及日本人』に転じ、以来碧門として終始した。 |
明治43年 (1910) |
20歳 | 2月 | 第二次全国遍歴の途にあった碧梧桐と下関で初めて会う。 |
4月 | 小野田の私立興風中学4年に編入。 | ||
明治44年 (1911) |
21歳 | 4月 | 荻原井泉水『層雲』。 |
6月 | 泉天郎『朱鞘』創刊。両誌に投句。 | ||
明治45年 (1912) |
22歳 | 3月 | 興風中学卒業後上京。海紅堂句会に出席。六朝書道を中村不折に学ぶ。 |
大正2年 (1913) |
23歳 | 3月 | 『日本俳句鈔』第二集刊行され、38句入集。新傾向俳人としての地位を確立。9月、熊本五高独法科入学。12月、『層雲』に連作俳句「銃を担いで」を発表、注目される。 |
大正3年 (1914) |
24歳 | 11月 | 第一次『白川及新市街』を創刊、主宰。句及俳論を発表。 |
大正4年 (1915) |
25歳 | 3月 | 『海紅』創刊。碧梧桐、一碧樓、六花らと同人になる。 |
大正5年 (1916) |
26歳 | 4月 | 山頭火を熊本に迎える。 |
6月 | 五高卒業。 | ||
9月 | 京都帝大法科(独法科)入学。 | ||
大正8年 (1919) |
29歳 | ー | 亘理寒太と交遊 |
11月 | 第二次『白川及新市街』発刊、9年5月終刊。 | ||
大正10年 (1921) |
31歳 | 3月 | 京大卒業、帰郷。 |
5月 | 上京、第一師団軍法会議構成員並理事試補拝命。 | ||
9月 | 葛城恵美子(俳人・紀伊粉河寺出身)と結婚。 | ||
大正11年 (1922) |
32歳 | 3月末 | 官を辞し、東京で弁護士開業。 |
11月 | 下関市に移住。馬関毎日新聞社主幹就任。在職中、俳句、短歌、小説に親しみ滝井孝作に就いて創作を試む。文芸誌『海峡』を企画、発行し、中本たか子だけが世に出る。後に吉田常夏の『燭台』に引き継がれる。 | ||
大正13年 (1924) |
34歳 | 春 | 馬関毎日新聞社辞職、下関で弁護士開業。山頭火ら俳人多数往来。 |
昭和5年 (1930) |
40歳 | 9月 | 随筆集『觸目皆花』を人生創造社より刊行。 |
昭和6年 (1931) |
41歳 | 11月 | 黒田忠次郎が『生活派』創刊、地橙孫も同人として参加。 |
昭和15年 (1940) |
50歳 | 2月 | 『日本俳句』発足参加。 |
12月 | 「新日本俳句協会」評議員。 | ||
昭和16年 (1941) |
51歳 | 2月 | 「新日本俳句協会」解散。『日本俳句』も廃刊となる。 |
昭和17年 (1942) |
52歳 | ー | 定型俳句に復帰、泉天郎、広江八重桜と『清明集』を回覧。 |
昭和20年 (1945) |
55歳 | 4月 | 山口県弁護士会長に就任。 |
7月 | 関門空襲により罹災。 | ||
昭和21年 (1946) |
56歳 | 7月 | 徳山市(現・周南市)帰住、引き続き弁護士を開業。 |
昭和22年 (1947) |
57歳 | 3月 | 『通草』第一句集刊(謄写)。5月より大患、病臥半年に及ぶ。 |
昭和23年 (1948) |
58歳 | 11月 | 『通草』第二句集上梓(謄写)。 |
昭和26年 (1951) |
61歳 | ー | 新傾向定型派の大結集を企画、『清明』を主宰。第二号で廃刊。 |
昭和27年 (1952) |
62歳 | 10月 | 山口市金古曽の「ザビエル公園碑」などを揮毫。 |
昭和31年 (1956) |
66歳 | 10月 | 句友山頭火の墓建立に伴ない、墓表「俳人種田山頭火」を揮毫。 |
昭和32年 (1957) |
67歳 | 9/3 | 狭心症に喘息を併発して永眠。 |
地橙孫の没後
昭和33年 (1958) |
9月 | 『地橙孫句抄』が滝井孝作の序文を得て刊行される。「墓碑」が大迫田墓所に建立される。 |
昭和50年 (1975) |
6月 | 俳論『清明の道』が地橙孫遺族により刊行される。 |
昭和57年 (1982) |
10月 | 大田里灯氏により『清明といのちと』が刊行される。 |
平成2年 (1990) |
ー | 「句碑」が東川・岐陽橋の南側欄干に建立される。 |
平成6年 (1994) |
1月 | 「句碑」が、下関市・長府観光会館の壇具川沿いに建立される。 |
平成19年 (2007) |
9/3 | 「地橙孫顕彰会」が創立される。 |
平成20年 (2008) |
10月 | 『花芙蓉』~地橙孫百句抄~ が地橙孫顕彰会により刊行される。 |
平成21年 (2009) |
3/28 | 「地橙孫顕彰会」創立記念総会が開催される。 |
平成22年 (2010) |
1~3月 | 山口ふるさと文学ギャラリー企画展示『地橙孫資料展』が県立山口図書館にて開催される。 |
平成22年 (2010) |
9月 | 資料展『徳山の俳人・兼﨑地橙孫』を周南市立中央図書館にて開催。 |